空間の形態素について(ツィート拾い出し)
2/24〜2/25にかけて考えた「空間の形態素」について、Twitterから拾い出して記録する。
「スロープと螺旋階段を隣に配置。異なる言語をバシッと合わせた。車と飛行機と人間の時間を統合。ここが凄い。これはミースにはできなかった。ちなみにミースは時間を止める。」 / “近代建築史8(コルビュジエ、未来派、ロシア構成主義):今日の…” htn.to/u6kBwd
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 22, 2012
「石川メモ:地形とは「どのように感じられるか」と「何を地形と呼ぶか」というスケールの異なる事象がある。移動することで身体スケールの地形認知が拡大される。=フィールドワークの効果。」 / “article?name=2011-12-23” htn.to/QmtQZF
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 22, 2012
実世界の文法を知ること、実空間の言語を通じてコミュニケーションできるようになること、それを通じて実生活を豊かにすること。強烈に煎じつめるとそのようになるだろうか。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 22, 2012
地形という、意思も意図もない、設計もされていないものが語りかけてくるなんて、落ち着いて考えれば恐ろしい。無生物と会話している。実際には過去や未来の利用者や時間の経過と向き合う場合が多いのかも。純粋オブジェクトとしての地形に向き合うのは、海原を眺めるかのように。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 22, 2012
図化とは、実世界の文法による実空間の言語を、図式による図に翻訳する作業である。設計や施工も、向きは違え同様に表現できる。実世界の文法とか実空間の言語といった用語は、その意味で便利かもしれない。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 22, 2012
はてなブログに投稿しました視覚にも言語の概念を導入すると見通しが良くなる - 世界の測量 htn.to/cgXTkh
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 22, 2012
思い返してみれば、図面を見る視覚と、実世界を見る視覚とを統一的に整理できなかったことはおかしい。図面には言語があるのは明らか。実世界を見る視覚にも言語が介在しない理由はない。高次視覚処理に言語が介在する様は、高次聴覚処理に言語が介在する様と同じ。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 22, 2012
視覚の形態素、などと言ったらほとんど一回りしてきた感じがする。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 22, 2012
視覚論、計算機視覚と地図学の組み合わせに、前期後期ウィトゲンシュタインの言語論を援用すれば良い。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 22, 2012
空間の形態素といっても良い、というか、視覚というべきか空間というべきかで迷っている。聴覚というべきかテキストと言うべきかで迷うところと同じ。低次側の用語を使うか、高次側の用語を使うか。どちらにも得失がある。言葉の選択によっては、何より、私のテキストが私自身を誤解させることになる。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 22, 2012
空間の形態素とは地形及び地物であるという整理もあり得るが、保留する。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 22, 2012
この考えは、のち否定する。
テキストにはスケールがないので、テキストのアトムである形態素 morpheme が存在するが、空間にはスケールがあるので、空間のアトムである形態素 morpheme はスケール依存する。生活形式にはスケールも反映される。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 23, 2012
工業プラントの形態素と団地の形態素と歩行空間の形態素と室内の形態素と机上の形態素と筆箱の形態素は異なる。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 23, 2012
@e_toyoda やっぱり多分、テキストの形態素というべきですね。なので同様に、視覚の形態素と言わず、空間の形態素と言って思考することにしようと思います。ありがとうございます。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 23, 2012
@geo80k 図面が美しいのは、テキストに心を動かされるのと同じく、そこに「言語」が現れているからではないかと思いました。よい建築を実世界で見る場合も同様に、そこに「言語」が現れていて、メッセージが伝わるから感動する。図面も建築もテキストも言語コミュニケーションと捉えてしまう。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 23, 2012
「空間の形態素」という概念が私の中で大きな波紋を呼んでいる。空間の形態素とオブジェクトは何が違うのか。空間の形態素と地物は何が違うのか。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 23, 2012
@_hfu_ 空間の形態素はアイデンティティを持たないところが地物やオブジェクト(情報工学)と異なり、屹立しないことがオブジェクト(隈健吾)と異なる。アイデンティティを持たないということは属性を持ち得ないが、配置場所という強烈なコンテキストを持つ。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 23, 2012
矢印、「伊勢そば」という文字列、「日本海」という文字列、四角形、セブンチェア、はすべて空間の形態素となり得るが、その配置位置とあいまってコミュニケーションに使用される。配置位置が致命的に重要である。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 23, 2012
spatial language, spatial morpheme を検索することで、近い考えに至った先人に触れることができる。多分、テキストだけでなく視覚言語と実世界も一気に扱おうとしているところが私の考えのヘンなところ。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 23, 2012
視覚言語と、言語と実在の同型性の否定に関する考えとの二点について、とても興味深い。 / “オットー・ノイラート - Wikipedia” htn.to/NMgFpv
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 23, 2012
地図において、道路、河川、地性線については地物と捉えるよりも空間の形態素として捉えたほうが有効な気がする。道路の引き方から伝わってくる意図や意識、みたいなものは形態素的解釈が適する。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 23, 2012
@Magepa 聴覚と音声とテキストの関係は、視覚と映像と図面の関係と同じ。そこには知能の営為である、離散化がともなう。なお、テキストが視覚言語の一つである文字で符号化される点は誤解を生じやすい。文字表現はテキストのひとつの姿にすぎないと整理するとよいかもしれない。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 23, 2012
@Magepa ウィトゲンシュタイン流だと言語化されない思考は論じえないから論じない。不満なら論じてみよ。論じた時点で言語化されている。よって思考はすべて言語化されるもの、という論法をとる、と私は理解しています。奇妙だけれど気持ちの良い処方箋だなと思います。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 23, 2012
@Magepa 空間の形態素とは、「私」のそのときの操作の最小単位なのかなと思い始めています。椅子を組み立てていればネジが、部屋のインテリアを考えていれば椅子が、空間の形態素になる。DIY空間言語と内装空間言語は、つながりのある別の言語として捉える。作図ソフトのステンシルのよう。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 23, 2012
リピート。空間の形態素は、作図ソフトのステンシルのように与えられる。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 23, 2012
二次元図面においては、パワーポイントの作図ツールからビジオやOmnigraffleのステンシルにいたるような様々なレベルのステンシルとして空間の形態素が見受けられる。三次元モデルにおいては、Google Sketchup のやり方が空間の形態素を組み上げる感じに近いように思う。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 23, 2012
@Magepa 人が図面を二次元のまま理解しているか、というところは留保したくって、人は図面をなぞりながら理解しますよね。シリアルなストーリーなり帳票なりが二次元図面に折りたたまれて詰め込まれていると考えたい誘惑があります。思考は、時間という一次元に沿って展開する以上シリアルかな
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 23, 2012
@Magepa たとえば、この地形図を音読せよと言ったとき、ここに何があり等シリアルになる。それは音声言語を使ったからだというよりは、思考がシリアルだからなのかもしれない。作図においても、人は箇所箇所について、シリアルに作業する。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 23, 2012
@Magepa 逆にいえば、図面ってそういう「思考のシリアル性」を補うための強力なツール、まさにビジュアルエイドなんだ、と言っちゃえるのかも。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 23, 2012
@Magepa 空間の形態素は(多分に主観的な)位置情報を文脈として伴って、シリアルな思考の最小単位として「私」の操作対象になる。思考はシリアルな一方で、その、位置情報というのは空間的であり、図面においては平面的、という整理かなと。私、うまく説明できていませんが。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 23, 2012
. @_hfu_ さんの話とちょっと関連するかもしれない話。初めて地図をレンダリングしてたときに驚いたのは、形状を表示しただけではただの模様だったのに、そこに文字を入れたら(地名とか建物名とか)、急に「地図」に見えるようになって驚いた。地図が生まれる瞬間、と思い強烈に覚えている。
— Masaki Itoさん (@niyalist) 2月 23, 2012
地物と言わず、オブジェクトと言わず、空間の形態素と言う効用のもうひとつは、注記やサインも統一的に、むしろ第一級の要素として、取り扱えるということである。空間を言語の場として解釈し、ウィトゲンシュタイン流に言語の本質を使用つまりコミュニケーションとする以上、注記や記号は第一級要素。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 24, 2012
空間の形態素で考える喜びの一つは、ファサードが重要な対象になることである。都市のイメージはファサードが作っているはずなのに、地図はそれを対象としない。 / “ファサード - Wikipedia” htn.to/2EyZnh
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 24, 2012
@geo80k 現実を記述したいのではなく、現実についてコミュニケーションをしたいのだ、なぜならご指摘の通り現実の記述にはキリがないから。たとえ基本図であっても、目的は記述というよりはコミュニケーションであると。かなり些細な言葉のあやみたいなところですが。目的志向は強まるかなと。
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 24, 2012
@niyalist 拝承!
— _hfu_さん (@_hfu_) 2月 24, 2012