世界の測量

Sibling of "Relevant, Timely, and Accurate, " but much lighter and shorter ※自らの所属する組織の見解を示すものでない

Design by Committee をジョークに終わらせないために (@e_toyoda)


アンチパターン「Design by Committee」には、なんどもぶち当たることがあるけれども、Design by Committee に対する、設計時点あるいは設計が閉じてしまった後の対処方法については、世界でもあまりまとめられておらず、「Design by Committee!」と言い放って終わるパターンが多い気がする。

Design by Committee への処方箋を、求めたい。

まず、「委員会による設計」の解釈であるが、これは「管制官による操縦」のように、タスク遂行者のミスマッチが起こす悲劇であるように思われた。「委員会」という意思決定の方法論を非難するものではなく、「委員会」と「設計」という組み合わせに悲劇の根があると思っている。

個人的には、技術者レベル・専門家レベルで決断ができていないものを意思決定者レベルに上げたときにこのような症候になるように思えた。意思決定者の考えは、その役割上、覆すことが不可能である。そのため、規格が肥大化する。互いの考えを「ばかげた」と言い放つことができる技術者レベル・専門家レベルの環境(Apple でいわれるような)で十分に設計を進め、委員会(=意思決定者)レベルでは、意思決定に専念してもらえるようにすることが、「委員会による設計」への処方箋ではないか。

Design by committee - Wikipedia, the free encyclopediaでは、委員会による設計の要因は「リーダーシップの欠如」とされているようである。リーダーシップを個人に資質としてしまうと話が終わってしまうので、リーダーシップを発揮したくなる環境要因とは何かと考えるべきである。例えば、当事者意識だとか、自らもユーザであるというモチベーション、継続性への意思なのではないかと思えた。

「委員会による設計」が行われた後の対処であるが、これはもうグッドラッパーしかないように思える。Webの技術なり思想は、グッドラッパーを容易に普及できる(例えば、実装を配ることなく変換結果を配布することができる)環境をアフォードするように思える。